会社を作ってどうしようもなかった頃、さまざまな奮闘した話を書きました。すると、相関性があるかどうか分かりませんが、優しい声をかけてくれる人が多くなってきたのは事実です。

そのうち一社に、日本能率協会の大阪がありました。これはいまだに付き合いが続いています。セミナー講師としての数を増やしませんかと言うのです。私がアジルアソシエイツに属していたとき、日本能率協会でセミナーの講師をしていました。しかし、どうせならとセミナーの回数を増やすことを提案してくれたのです。

記録を見ると、2ヶ月後に新しいセミナーを二つ増やそうと依頼されたようです。考えてみるに、無茶苦茶なスケジュールです。「今から集客するから、それに合わせて新しいセミナーコンテンツを作ってくださいね」と。相当な無理のある時間です。例えば一つのセミナーで100ページの資料を作るとします。2回目以降は楽勝かもしれません。しかし初回ですからゼロから作る必要があるのです。さらに二つ分ですから200ページです。

他の仕事をしながら、とは言っても営業活動のようなものでしたが、資料を作成するのは非常にしんどかった記憶があります。しかし、そのセミナー講師の仕事を断る選択肢はありませんでした。私は毎日ビールを飲むのですが、ビールを飲みながら資料の構成を考えたり、そして子供を寝かしつけた後に、自分だけ深夜2時に起きて資料の作成を続けたりしました。これも今となってはいい思い出になっています。

それと大変ありがたかったのは、私の出身大学である大阪大学経済学部の先輩がテレビのプロデューサーをしており(関テレ)、独立記念にと「Mr.サンデー」にコメンテーターとして呼んでくれたことです(なお、あの番組は関テレが作成していました)。

それまでバラエティー番組などに出演したことはありました。しかし、いわゆる硬派な番組に出たことはなかったので、極めて緊張した記憶があります。そこで宮根誠司さんや竹田圭吾さんとお会いしました。やはりお二人のような百戦錬磨の人に囲まれると、あまりにも自分に反射神経がないなぁ、と落ち込んでしまったことを覚えています。テレビの世界はどうしてもOJTで成長していくしかありませんから、回数と完全に比例するわけではないものの、うまくなるのは間違いありません。その意味でコメンテーターの顔ぶれがあまり変わらないのは、経験を持った人が生き残らざるを得ない側面があるのでしょう。

ところでこの番組の思い出を一つ。

実は、番組に出演する前に、番組のスタッフの方から電話がかかってきて、ミヤネさんが非常に気難しい人だと言うのです。出演する前にそれだけ伝えておきたい、と。

ものすごくプレッシャーでした。もっといえば出演したくないとギリギリまで考えていたものです。断る直前でした。もしかすると今の私であれば断っていたかもしれません。しかしながら、繰り返す通り、その当時の私には断る選択肢は実際は用意されていません。そして恐る恐る会いに行ったのですが……。

ものすごくいい人でした。そのあまりのギャップに驚いてしまいました。これはどうやらご本人の戦略らしく、そのギャップで好きにさせるようです。実際、私もミヤネさんのこと大好きになってしまいました。

まぁこんなこともあるのですね。



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